「大恋愛」って、どんな恋愛?

「大恋愛」って、どんな恋愛?ある時、知人がご自分の息子さんの結婚を「大恋愛の結婚」と、話していました。その話を聞きながら、「大恋愛」の定義は何でしょうと思いました。

答えは、揃ったように「大恋愛は、大きな障害を乗り越えて結婚に至った恋愛で、障害が大きければ大きい程、大恋愛となる。」です。この大恋愛の定義によると、結婚がゴールとなります。その後、離婚することになっても、それは問題ではないのです。本当にそれで良いのでしょうか?

私は、島崎藤村の「初恋」が、好きです。

まだあげそめし前髪の りんごのもとに見えしとき
まえにさしたる花ぐしの 花ある君と思いけり
やさしき白き手をのべて りんごを我に与えしは
薄暮れないの秋の実に 人恋そめしはじめなり

「人恋そめし」気持ちには何の濁りもありません。恋心とは青くさいものです。その青くささゆえときめいてしまいます。TVで「学校へ行こう」という番組がありますが、その中の恋心の告白に、私は、とても純真さを感じてしまいます。そこには、社会的な地位や金銭によるところの計算が微塵も感じられません。ただひたすら、その人を好きと言う気持ちのみで、とても、シンプルな心なのです。ただ、初恋がそのまま「大恋愛」になると言うのではありません。出会いはお見合いでもなんでも良いのです。この人と決めた瞬間から始まり、そして、それが生涯変りなくその人を大切に思い続く事が「大恋愛」と、私は定義したいのです。

人々の中で、大きな問題が発生すると小さな問題は、その大きな問題が解決するまで後回しにされる傾向があり、大きな問題を解決するまで、一致団結するそうです。たとえば、うまくいっていない夫婦の子供が誘拐された時、非常事態となり、夫婦は協力し子供を取り戻すことに真剣になります。それと同じく、結婚への障害が、ここで言うところの大きな問題であり、共に乗り越える為に協力体制をとっていると考えられないでしょうか。こう考えると、「大恋愛は、大きな障害を乗り越えて結婚に至った恋愛で、障害が大きければ大きい程、大恋愛となる。」という定義に、うなずけません。

ところが、人の心は移ろいやすい。日常の罠にかかり、気持ちを忘れ、感謝を忘れ、もっと違う何かがあることを求めてしまいます。それとも、悪い面ばかりに気をとられ、愛情をなくしてしまいます。凡人の常です。その人の「大恋愛」は、終ります。ただ、その時にパートナーの「大恋愛が」続いていた場合、限りなく悲しみのみが存在する事を忘れて欲しくありません。そして、やり直すか、けじめをつけるかです。新たな「小恋愛」の始まりと考えれば良いと思います。

しかし、パートナーを傷付け裏切る別の恋愛は、異次元の恋愛です。それは、人の不幸や苦しみよりも、自分の感情を優先するという自己中心的な恋愛です。恋する自分自身を愛しているのではないでしょうか。恋愛をする人の必要条件として、「人を大切に思う」が、不可欠だと思います。それを満たして、「大恋愛」や「恋愛」が成り立ちます。中途半端な人間には難しいことかもしれません。

その人にめぐり合った人は、幸せです。 生涯変りなく思い続けられる人は、幸せです。 そして、相思相愛の「大恋愛」ならば奇跡に近いほど、幸せです。

 

 



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